Tiger Uppercut!〜ある秋田人の咆哮

タイガー!タイガー!アッパカーッ! 秋田の歴史、文化、グルメ、時事、そしてステキな未来を書き下ろし!
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一本桜


今年は地球寒冷化のせいなのか、ようやく春が来た。
今、ようやく桜の季節。

公園で華々しく咲いていて、
多くの人に見られ愛でられ褒められる桜も悪くはないんだけども、
深山の渓谷に切り上がっていったときに、
ハッとするように見事に見事に堂々と咲いている一本桜がある。
そういう桜がたまらなく好きだ。




自分や自分たちのやっていることに対する心ないウワサや悪評、
または意味不明の叱咤激励の数々。
多くは悪意ある誤解からきていることなんだけども、
まあそれはそれで俺だって人間なのだからそこからダメージを受けることもある。
特に胃腸のタフネスには最近ほんと自信がない・・。
人間ドッグではいちおうセーフだったけども。

心ない人、心ある人、いろいろいる。
それが世の中で、そんなもんで、たしかに世の中その通り。

悪評や批判を聞く耳をしっかりもとう。
そうした上で、常に心はあの山中の桜のようにこうありたい。


「 見るもよし、見ざるもよし、されど我は咲くなり 」


たしかこれは武者小路実篤だったか。
明日あたり、こいつ見に行ってみっかな。
ということは明朝は4:00起きだな・・・。





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| T U | その他 | 22:15 | comments(0) | trackbacks(0) |
私の正体を一般公開する日


いろいろな理由がありましてここでは私の正体を明かしてません。
しかし、もう半バレになっているムキもあるようなので、
ここは久しぶりに一般公開してしまおうと思います。

ということで、みなさん。
ついに私の正体を明かす日が来ました。
「第2回私の正体を明かす日」を開催したいと思います。
「第2回私の正体を明かす日」とは、私を一般公開する日です。
そこにいけばどんな人でも私という人物と飲み語らうことが可能です。
もちろん初対面の人でもまったくok。

日時はなんといきなりの3月9日!
場所は山王つぼ八向かいの「Tiger More」です。
http://www.nightcats.jp/bar_tiger_more/

日頃、このblogを読んでくださってfanになって頂いている方や、
逆に私と差し違えたいと思っている方、
またそれを阻止したい守りたい!と思ってくださる方、
どなたでもそこに自由に来てください。
そうすると私とただ単に酒を飲むことができるという日です。
非常にえらそうな日ですがそんなことはいちいち気にしない!





申込は不要です。
KilkenyとFish&Chipsが最高にumaiこのbarのカウンターで、
黒いブックカバーをした本を読んでいる男がいたら、

「白い蛇はどこへいった?」

と声をかけてください。
きっとその男は、

「白い蛇はデルワナワンガー」

ということでしょう。
そこからすべてがはじまります。
beerを一杯おごりますよ。
ということで、では待ってますみなさん!!!


ちなみに第2回ということで、これは今回で2回目の試みです。
約3年前に行った1回目の様子はこんな感じでした。
以下、当時のイベントレポート原文です。

|
|昨日は、多くの方に集まっていただいて誠にありがとうございました!
|最初は冗談半分だったんですが、
|あんなに盛り上がるとは思ってませんでした!
|
|驚いたのは遠方から来てくれた人の多いこと多いこと!
|急な○○○○の日にも関わらず、
|しかも遠方よりほんとありがとうございます!



|あの狭い「こぶ志」に最終的には24人入りました。
|しかし20人超えたところでもう一杯一杯だったので、
|会場を旬のダダミとおろしそばの美味い、
|これまたシブイ飲み屋に移していつの間にか大吟醸大会。
|その後、こぶ志に来た人いないっすよね?
|私、ついうっかり携帯の電池切らしてましたんでおりましたら悪しからず・・。
|
|酔の夢は天を翔け、夜な夜な盛り上がり、
|結局カラオケで真夜中の80年代ソング対決!
|最終的にはRapper森エンテ君の感動的な中締めで盛り上がりました!
|またやりましょう!



|最初に肩を叩いてくれたのは「ささき☆」さんでした!
|なんと丁度いいことに53ページだったのでビアーを一杯ゲットです!
|今回、集まって頂いた人数すなわち私の人徳でしょう!
|では「ささき☆」さん、多くの参加者を代表してご参加の感想をお願いします!




またヒロヤさんしか来なかったらどうしよう・・・。







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| T U | その他 | 00:16 | comments(0) | trackbacks(0) |
情熱というもの


ペリーが黒船に乗って日本にやってきて、
日本中がひっくり返ったような騒ぎになっているときに、

「俺もあれ創ってやろう!」

と思ったチョンマゲが3人いた。
と前に書いたことがあるが、
「秋田首都移転説」 → http://uppercut.jugem.jp/?eid=14


「あれに乗ってアメリカに行ってやろう!」


と思ったチョンマゲもいた。
鎖国日本において、海外渡航は死罪。
しかしそんなことまったくおかまいなしで、
即、実行してしまったチョンマゲが2人いたのだ。



それが吉田松陰である。
もう一人は弟子の金子重輔。
この激情の思想人、行動家はなんと無茶なことをするのか。

国中が攘夷だなんだで沸騰しているその真っ只中で、
無謀にも停泊中の黒船に強引に乗艦するべく、
下田の弁天島洞窟に隠れつつ夜陰に乗じて漁船で漂い近づき、直訴。
しかし長時間に渡る熱心な交渉の末、
あわれにも乗艦を拒否され、打ち首の待っている陸に帰される。

本当に行きたいのであればもっと違うやり方があるのではないか。

などというのは、
安全なところで机の上のみかんでもむきながらTVを見ている我々の戯れ言だ。
そんなことではないのだ。

当時の人々も、この事件をみんな笑って小馬鹿にした。
しかし、乗艦拒否の命令を下したペリー提督の遠征記には、
「!」マーク付きでこう記されている。

===============================
この事件は、厳しい国法を犯し、
生命まで賭そうとした二人の日本人の激しい知識欲を示すものとして、
興味深いことであった。
日本人は確かに探求好きな国民で日本人のこの気質を考えると、
この興味深い国の将来には、
なんと夢にあふれた広野が、
なんと希望に満ちた期待が開けていることか!
=====================ペリー提督遠征記より=

松陰乗艦拒否後に下田奉行所に米国幕僚を派遣し、
彼ら2人の日本人の罪を軽くするよう調整をかけたのはペリー提督だという。
くしくも敵の親玉のみが本質を見抜いていたことになる。



斬首を免れた吉田松陰は、萩に帰って松下村塾を開塾。
そこから高杉晋作、久坂玄端、桂小五郎、伊藤博文、山県有朋、
前原一誠などなどなど幾多の若者が巣立ち、
それぞれが新しい日本を創る導火線となり起爆剤となり爆薬となり、
そして礎となって、今、各地で銅像になっている。


黒船当時、吉田トラジロー松陰24歳。
享年27歳。
安政の大獄にて斬首。
その生涯において、彼にはひとーーーっつも言い訳がない。
こういう若者の情熱が日本を創ってきたのだ。




燃えるぜーー!!!







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| T U | その他 | 00:31 | comments(1) | trackbacks(0) |
devil

少年の頃、数学に出会った時に即座に思った。

「こいつは俺の人生に立ちはだかることになるだろう・・」

と・・。





幼い予言は見事に的中し、
受験など、どの局面でもこのdevilは嫌すぎるほど立ちはだかりまくった。

結果的には、なんとかギリギリでかわして大人になることができたが、
何度も何度も崖っぷちに立たされた。
今思い出してみても、身の毛もよだつほどのものすごい強敵だったと思う。
世界中の多くの少年少女にとってそうであったように、
私にとっても得体の知れない悪魔だったのだ。
自分史を振り返ってみると、もしかしたら私の10代は、
「数学との格闘史」だったという見方もできるかもしれない。


(ヘウレーカで有名な古代の数学者・アルキメデス)


なのでもちろん、この部分の能力はまったく自分に欠けている。
だから、この「数学」ができる人間に対して、
ほとんど太古の神々に対するような畏敬の念を抱いてしまうのだ。

高校の頃、私の同級生である親友で、
とても成績の悪い気のいいヤツがいたが、
なぜか数学だけはわりと出来る男がいた。
彼は、大学に入っていったんは中退したりするなど苦学したが、
結局は医学部に入りなおして卒業し、
現在は、若手勤務医としてバリバリに頑張っている。
たぶんこのまま秋田の医療の現場を支えていく男になるんだろう。
あのケツ毛の長い彼が、である。
その点だけちょっと違和感あるけれどもこれも、

数学という悪魔を封じることができた人間だからこそできること

なのである。
なんとも神々しい。

身近でいうと我が社にも、
なんとセンター試験で数学195点というsuper才女がいるが、
そのこと一つだけでも私にとってはなんとも神々しい女神のように映ってしまう。
まあ酔うとメドゥーサになるんだけども・・。
彼女もまた、悪魔との戦いに勝利した側の神々だということだ。


しかし先日真夜中に泥酔して帰ってきたときに、
自宅で「かけ算優勝」と書かれた 黄金の王冠 を発見して驚いた。
なんと我が息子は算数が非常に得意なんだそうだ。
幾多の校内算数大会で優勝しているらしい。




「算数大会ってなんすか???」

っていう素朴で重要な疑問はとりあえずおいといて・・。

彼が小さい頃、
数学という悪魔についてキッチリ教え込んでビビらしていたことが、
多少は功を奏したのかも知れない。
それとももしかして、

「とんびが鷹を生んでしまったか?」

なんてちょっぴり思ったりして。
んなわけないか。
そもそも算数大会ってなんなのか・・。
すったげ気になる・・。




少年よ、ちゃんと勉強しろよ。
んでなきゃdevilに喰われるぞ。




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| T U | その他 | 00:54 | comments(3) | trackbacks(0) |
千里眼

徳川江戸幕府は、その日本史上未曾有の巨大な戦力のわりには、
お家の「滅び」に対してはとても神経質で臆病な体質だった。

まず成立の段階で、薩摩、長州などの仮想敵国をきちんと定義して、
それに対する手当を、

「これでもかこのイモ野郎!」

というほど綿密にしているのだ。
第一の敵国は、薩摩の島津氏だ。
彼らが倒幕に立ち上がった場合、
まず隣接する肥後熊本においた細川氏が先制する。
そのために、家康死後とはいえど、
わざわざ加藤清正の息子に難癖をつけて取り潰し、
信頼のおける細川忠興に大禄を与えて戦闘能力の高い熊本城に依らせた。
そこで倒幕軍が手間取っているうちに、
譜代の小倉小笠原藩が筑前黒田藩や肥前鍋島藩などの、
九州の諸藩を動員して薩摩を討つ。
実際に、西郷隆盛が決起した西南戦争ではそんな感じになった。


(鎮西の大要塞・熊本城)

しかし、薩摩の勢いがより強大で九州を制圧し、
もう一つの仮想敵国・長州と一体となって本州に上陸した場合、
まず広島で強大な安芸浅野藩が待ち構えている。
そして山陰道も山陽道も池田藩が抑えている。
これも大藩であり姫路城という戦闘力の高い城郭をおいた。
いずれも徳川家の信頼厚い大藩だ。


(天下の名城・姫路城)

しかし、奇跡的にここまでクリアされ京都に乱入された場合、
江戸城に次ぐ戦闘力を持ち、
親藩の紀州徳川御三家の兵力を背景にした大坂城を拠点にして鎮圧する。

それも撃破された場合、
京都の喉元に配置された関ヶ原以来の徳川軍の先鋒隊長、
彦根井伊藩と伊勢藤堂藩が襲いかかる。
さらに尾張には御三家。
関ヶ原から東の駿遠三には譜代の小藩がひしめき合っている。
これもこの有事の際の戦力なのだ。


(赤の軍団・井伊軍)

しかし、薩長強大でこれも打破された場合は、
箱根を境にして対峙する戦略だ。
箱根以東、白河以南にはただの一つも外様藩はないし、
薩長になびくような理由のある藩はおいてない。

そして関東平野にひしめく旗本八万騎を集めて一大決戦しようというものだ。
その際、相手方に天皇を奪われていることも想定して、
常に親王クラスの皇族を上野寛永寺に置いているのだ。
いざという場合にはこの親王をたてて、
南北朝の頃のように日本を二つにして戦う覚悟なのだ。
しかも薩摩や長州からの船で攻めてこれないように、
大船の建造を一貫して禁止した。

ここまでの手の込みようだ。
まさに「七段構え」の戦略。
優秀な軍人というのはここまで考えて、
戦いをするものなんだなあというのがよくわかる。
軍人といってもここまで考えたのは家康はもちろん、
本多正信・正純親子や天海僧正などの参謀クラスなんだろうけども。
本願寺を西と東に分割する、
なんていうのも溜息のでるような鮮やかで嫌らしいmagicだ。

しかし、まあ結局は負けた。

薩摩は実際に長州と手を組み、
京を抑え、西郷隆盛や板垣退助は東海道、東山道を進撃し、
シナリオ通りに江戸に到着した。
幕府の防御戦略構想どおりにはなったのだけれども、
実際にはそれを実践すべき実行部隊がその通りに動かなかったのだ。
肥後細川、筑前黒田、安芸浅野あたりはまったく機能せず、
伝統の先鋒大将の井伊、藤堂は寝返る始末。


(初期の倒幕戦をリードした高杉晋作)

しかしそれでも、最初に家康らが描いたシナリオ通りに幕府は倒されたのだ。
結局、幕府を倒すには唯一この方法しかなかったという証明になった。
それを創設の段階で見抜いてたこの人々の、

本質を見抜く能力、千里眼

は、空恐ろしすぎるほどだ。
これが天下をとるプロジェクトチームのすごいところだろう。
まったく天才だ。


(大御所・徳川家康)


私もいつかこういう参謀本部?官房?社長室?秘書室?を創ってみたい。
天才だけはまわりにたくさんいるので。

な〜んてかなり身のほど知らずに偉そうにすまません。。。
単なる眠れない夜の妄想です。
悪しからず。





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| T U | その他 | 00:49 | comments(0) | trackbacks(0) |
「龍馬伝」

NHKの大河で「龍馬伝」をやっているのを今のところ毎週見ている。
TVドラマなど一切見ないこの私。
実際に大河をみるのも小学生の頃の「独眼竜正宗」以来だ。

それがなぜ、毎週見るようにしているかというと、理由はひとつだけ。
息子に見せたいのだ。
だから必ず息子と一緒に見る。




「少年よ、龍馬を読め 青年よ、坂の上の雲を読め」

ということを私は思っているのだけども、
やはり少年が熱い胸を焦がし大志を抱くためには、
「龍馬」はかっこうの材料だと思うのだ。
直江兼継あたりじゃちょっとなあ、なんですよ。



だから、そうナビゲーションをするために息子にいちいち解説をしながら見る。
今のとこはとても興味を持っている感じ。
そうだ息子よ、大志を抱くのだ。
君はDSをやるためにこの世に生まれてきたのではないのだ。

しかし、実際に何回か見て思うのは、この大河は映像がとてもキレイだってこと。
とても素晴らしい映像なのでそっちの方も楽しみのひとつに。
福山もぜんぜん悪くないじゃないか。

今回は「江戸の鬼小町」ってことで、千葉道場の佐那子さんが登場。
前に 「竜馬の女」  ってことで書いたことがあるが、
私は佐那子さんの方が絶対に好きだなあ。
数年前、佐那子さんに引き寄せられるように墓に行ってしまったことがあるが、
それからというもの私は完全に佐那子派だ。

龍馬伝。
これからどんな映像を見せてくれるのかとっても楽しみ。
それと同時に、
回が進行していくごとにたぶん成長していくであろう息子が楽しみだ。

「20代で左翼でないヤツはハートがない、
      30代でまだ左翼のヤツは頭がない」

とはムッソリーニの言葉らしいが、
左翼はどうでもいいけれども、
やはり、男の子にはまず、熱いハートが必要だと思う。
人生の何事も、まずはそっからだ息子よ。
DSではないのだ。




大志を抱け!


さっ、いよいよ来週は黒船が来るぞ。




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| T U | その他 | 00:46 | comments(0) | trackbacks(0) |
シエスタと雪だるまと

先日の休日のこと。
ちょうど1年前まで、会社に勤めていた若き女子がおもむろに家に遊びに来た。
しかも私にではなく、なぜか子どもたちにアポをとって・・。

かなり意表を突いた不思議な行動だったんだけども、
一拍おいて、

「まあアイツなら不思議じゃないかも」

って感じで妙に納得して看過していた。
しかも、おかまいなくというので本当に全力でおかまいなしで、
彼女が外で子どもたちや犬と遊んでくれている間中ずっと、
私はシエスタをしていた。


(こんな感じで午後の間ずーっと ムニャムニャ・・)


何の意図があるのかよくわからない試みだったんだけど、
彼女曰く、

「子どもと雪遊びをしてすっきりしました」

とのこと。
信じがたいことに、本当にそれが目的だったんだろう。
夜中にふらっと外に出たときに、
このひときわ大きな雪だるまを発見して、それを納得しました。



ウ〜ン、なんていいヤツなんだろう。
恋愛、仕事、友人、家族、生活、故郷、歳月などなどなど・・・・・
それらの総和が人生だ。
今、君は人生の大きな岐路に立ち、
遥か長い道のりを歩き始めようとしているのかもしれない。
君のことだからおそらく、いやまず間違いなく迷子になるだろうけども、
ひとつだけ心から願っていることは、

君に、シアワセあれ!





ってこと。

シエスタありがとう。
こりゃーひとつ借りができちゃったかな。

以上、ナガブチ風に。





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| T U | その他 | 00:39 | comments(0) | trackbacks(0) |
IRELAND

いつも歩いているある通りに、
なかなかいい感じの面構えのIrish Barがあるが、
そこに先日、ついにふらっと入ってみた。



通りに出ているBoardに「Fish&Chips」と書いてあったのを発見したからだ。
別に私はIrish Bar好みの通でもないし、
こじゃれた飲み方を知っているわけでもないんだけども、
ただ、Irelandという国自体にずっと興味があるのだ。
なので、東京などにいくとたまーにふらっと寄ったりする。



この大英帝国の隣にある北海の貧しい島国は、
長きにわたり惨憺たる虐待を受け続けてきた。
隣人の怖い大国イギリスに、
ざっと800年もの長い間、酸鼻を極める搾取、支配をされ続けてきたのだ。


(首都・ダブリンにある餓死者追悼碑)

辺境とはいえども、ヨーロッパという文明圏にあるこの国は、
ルネサンスも知らず、宗教革命も知らず、産業革命では単なる被害者だった。
この3つを経験してない民族が果たしてヨーロッパ人といえるのだろうか。
当然、ジュリアス・シーザーも来なかった。
それが、このアイルランドという国だ。

さらに、この国はおそろしいほど貧しい。
ただでさえ岩がちな国土では農業といってもたいしたものではなく、
じゃがいもなどがなんとか作れるくらい。
さらに、それもブリテン島の権力者、不在地主に搾取されるのだ。
飢饉と搾取のために、煮炊きをする薪もない時代がずっと続いたそうだ。
そのうえ、宗教がカトリックなので子どもをバンバン産むのだ。
村は貧者であふれかえる。
そして飢えて死ぬ、という死のスパイラル・・・


(1849年 飢饉の直中にいる母親と二人の子供)

現代では、90年代以降の経済成長で多少改善されたらしいが、
それでもちょっと前までは失業率は20%を越え、
世界第2位の借金国にトリプルスコアをつけるくらいの
ナンバーワン大借金国だった。
そんな過酷な国がこのアイルランドという国なのだ。

そのような事情のため、
この国の若者は食うために、ダブリンからアイリッシュ海を渡って、
イングランドのリバプールに行き、そしてさらに、アメリカに行った。
典型的な「アメリカ人」を構成している要素の何割かは、
アイルランド人の要素ではないかと思えるほど、自由の国に渾身で参加した。
その成果として、アメリカに渡ったアイルランド移民の中から、
文豪や俳優、音楽家として成功する者が多く現れた。
ジョン・ウェイン、クリント・イーストウッド、カート・コバーン、マライア・キャリー、
メル・ギブソン、ジョージ・クルーニー、マーティン・シーン、ジャック・ニコルソン、
ハリソン・フォード、マーロン・ブランド、などなどなどなどなどなど、
有名なロックバンドやハリウッドの有名俳優の多くはアイリッシュだ。
さらに、ロナルド・レーガン、ジョン・F・ケネディ、ビル・クリントンと、
大統領が3人も出た。



アイルランドでは、

「どうもダブリンではメシが食えないから
          アメリカに行って大統領にでもなるか」

という笑えないJokeがあるそうだ。
アイルランド人は、詩や音楽などの文芸が得意な民族ならしいが、
それらを貫いているのは自虐的な笑えないジョークやウィットなのだ。
このような惨憺たる歴史を経験してくれば、
性根の芯からそうなってしまうに違いない。

アイルランドには、catholicとbeerとwhiskyしかないといわれる。
貧しい彼らが単に食うために、リバプールやニューヨークに渡って、
単純労働に来る日も来る日も明け暮れ、
わずかな休息のささやかな楽しみとして、
Fish&ChipsでGUINESSを飲みwhiskyを飲む。













なんて深い溜息がでるんだろうか。

しばらくは、このBarに入りびたりになりそうだ。。。





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| T U | その他 | 00:25 | comments(0) | trackbacks(0) |
つぐない
窓に西日が当たる部屋は・・ってことではなくて。


社会に出てからすでに10年以上。
当然のことながら貧すれどもいつも忙しくしています。
サラリーマン時代もかなり忙しかった覚えがあるが、
起業してからはそれに輪をかけるように。
平日に一緒に子どもと晩ご飯を食べることなど年に数回あるかないか。

しかし、それはそれでひとつの信念があってこうしているのであって、
決していたずらに家庭をないがしろにしているわけではないのだけども、
いずれにせよ、子どもにはいつも申し訳ない思いでいる。
こんな父親でも慕ってくれているだけになおさらだ。
たまには父親らしいことでもしてみたい。

ということでおもむろに、

「よし、ガキども、今夜は俺がホテルの最上階に連れて行ってやる」

ということでお出かけを。
まさに字のごとく子供だましだけども、それでもたまにはいいカッコしたいのだ。


その前に軽くお買い物を 楽しみで楽しみでしょうがない感じ


緊張感ただようディナーテーブル



作法を伝授すべくフルコースに


鴨肉とかの前菜ですね

息子は緊張してナイフとフォークをカタカタ動かしてみている。
そういえば幼い頃、
よく親父にもこういう場違いなところに連れてきてもらって教えてもらったなあ。
その流れで当時のキャバレーにも連れて行かれたこともある。
「レディタウン」だっけ?
親父がいきつけだというので、母、私、妹の4人でそのキャバレーへ・・。
なんかとても大きな店内で、
演歌歌手がギラギラの青い服を着て一生懸命に歌っていたのを覚えている。
大きくなっても演歌歌手にだけはなりたくない、と思ったのはあの時だ。

まあそれでも子ども心に、川反のあの時のにぎわいだけはしっかり覚えている。
とても活気があったなあ。
あの頃に比べたら今は何分の何なんだろうか。


このフランスパンに果敢に挑んだおかげで息子の乳歯が抜けた


キャベツのsoupでは舌がやけどした



メインは由利牛と松阪牛のサーロイン60gずつ umaiけども非常に薄い・・


いやいやなんかケチばっかりツケているような感じになってしまったけども、
なかなか満足なコースでした。
どのdishもおいしかったですよ!
今あまり市内にこういうきちんとしたところ少ないですよね。
昔はいろいろあったと記憶してますが・・。
「ガスライト」なんかはとてもおいしくて雰囲気が良かったと思う。



今月も来月も夜遅い日々や休日もない日々が続くなあ。
子どもたちには本当に申し訳がないのだけども、
正直なところ、自分としては誠実に人生を頑張っているつもり。
こんなたまの子供だましで贖罪できるとは全然思えないけども、
子どもたちにはぜひ、この背中を見ておいていただきたい。

頑張ります、実際。






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| T U | その他 | 00:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
幕末の革命宣言

幕末戊辰戦争当時。
私たちの秋田藩は庄内、南部、仙台藩という隣の友人たちから総スカンを食らい、
県境という県境から攻め込まれた。
しかも戦闘には負け続け、
もう少しで秋田全土が占領されるかもしれないというところまで、
鬼のような追い込みをかけられた。

しかしそのほんの数年前。
本州最西端の長州藩は隣人どころか、
当時の政権(幕府)をはじめ全日本中の藩からの攻撃をうけることになった。
慶応2年、第2次長州征伐。
4つの藩境から攻め込まれたことから四境戦争ともいう。



しかも朝敵にまでされてしまった。
もちろん、敵の戦力は数十倍いや下手すれば数百倍。
歴史上、ここまで不利な条件が揃って壊滅から免れた例はないだろう。
で、ありながら長州の人々は、

「朝敵長州藩一藩 vs 幕府連合軍三十六藩」

という絶望的なこの戦いに、
どの戦局でも勝ちまくったのである。


功山寺で決起してこの戦いをリードした高杉晋作


一体、なんなんだろうこの違いは。

戦いは、兵の数ではなく、
装備、作戦、士気の3つでするものだと誰かが言っていたが、
特に、「士気(motivation)」が一兵卒にいたるまですべて、
おそろしく高かったということが、
この戦いにあたって、
長州人が書いた幕府連合軍に対しての「宣戦布告書」をみればわかる。

まず、宛先が「東人」である。
まだ幕藩体制の濃厚なこの時期に、
敵の親玉ではあるが、しかし幕府に対して畏れ多くもこう呼んでいる。
なんと挑発的な宛名なんだろう。
もう敵にゴマをすって許してもらおうなどというところは少しもなく、
ハナっから倒幕する気、満々である。

「今般、徳川氏の暴挙、防長の士民憤激。
ついに戦に相成り候ば、国家の不幸にあらず、国家の幸として存じ奉り候」

という書き出しで始まる文章は勝利を確信しているようであり、
その勝利の先さえも見通しているような雰囲気がある。
さらに、

「東人より和解を申し出てくれば、それは許す」

ともある。
何十倍の敵に周囲を包囲されて、なかなか出てくる文言ではない。
そもそも、第一次長州征伐の際には泣きを入れて許してもらっているのだ。
その戦後処理のために、何人も何人も幕府により切腹させられた。
今回だって客観的にみれば勝てる材料はなにもない。
しかし、この人々はなぜか覚悟がノっている

しかも決定的に驚くべきことに、差出人が「防長士民・敬白」なのだ。
通常は長州藩の主君であるところの藩主・毛利敬親が差出人になるべきだ。
しかし、この人々はそうはせず「士民」と表現した。
それはもはや封建的共同体である「藩」ではなく、
なんと「個人の共同体」でなのである。
フランス革命の人権宣言から100年たっているとはいえ、
当時の日本人の感覚からすればものすごい飛躍だっただろう。
もちろんアジアでは例がない。
日本で最初に誕生した「市民」はこのときの長州人かもしれない。

ということで、これは要するに「革命宣言書」なのだ。
彼らは幕府に攻め込まれたから身を守るために戦うのではなく、
革命をするために戦うつもりだったのだ。



こういう思想的土壌から長州では奇兵隊が生まれたし、
「ハグクミ」や「手付」などの当時の身分制度を超越した制度が生まれた。
彼らは古い体制(幕府)を否定し、
しかし単に否定して破壊するだけではなく、
四民平等の新しい世の中を創りたかったのだ。
それを日本中に表明したのがこの「革命宣言書」だったのだ。



そして結局、彼らは四境から敵の大軍を追い出し、
日本全土をひっくり返してしまった。
「士民」という庶民寄せ集めの軍隊が、
300年間えらそうに君臨してきた正規の武士軍団を、
日本中のいたるところで負かしてしまったのだ。

近代日本は、こういう長州の「士民」から生まれたのだと思う。


倒幕まで革命戦の作戦を担当した大村益次郎




東北人であり、秋田人の私としては正直あまりいい感じではないけども、
こればっかりはどうしたって、事実そうなのだ。






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