Tiger Uppercut!〜ある秋田人の咆哮

タイガー!タイガー!アッパカーッ! 秋田の歴史、文化、グルメ、時事、そしてステキな未来を書き下ろし!
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| スポンサードリンク | - | | - | - |
「政策としてのカジノを学ぶ講演会」
かなりごぶさたしました・・。
あまりにも更新しないで放置しておくと、
jugemは上部にヘンな広告が現れるんですね。
この間、メールなどでいろいろご心配を頂きましてありがとうございます。
別に体調が悪いとかそういうのではありません。
単に気持ち的にいっぱいいっぱいなだけです。
来月でその他の入稿モノが一段落つくので、
こっちもまた復活しようと思っています。

といういことで、今回は街で見かけた講演会の情報を(笑)
これはかなりおもしろそうな講演ですよ!
「カジノ」に反対、嫌悪感、懐疑的な方ほど聞いた方がいいと思う内容ですね。
後援に行政が入っているのも驚きました。
これはオススメです!


「カジノが日本にできるとき〜カジノの経済効果と社会コスト〜」



地方格差、自主財源、道州制・・・。
地方自治体を取り巻く環境は非常に厳しく、
今、日本中の自体体が生き残りを賭けて、
様々な面で「チェンジ」を迫られています。
そんな中で、新たに法制化される可能性がある「カジノ」を
自主財源確保・地域再生の最後の切り札、すなわち「政策」として、
検討を始めている自治体が全国に数多くあります。
今回はカジノ政策・合法化に詳しく法案の作成にも関わっておられる
大阪商業大学学長・犯罪学者の谷岡一郎先生をお招きして、
政策としてのカジノについてご講演頂くことになりました。
できるだけ多くの皆様に、「カジノ」について正しく理解してもらいたいと思います。
貴重な講演会ですので賛成・反対、お立場に関わらず、
ぜひともお気軽にご参加願います。

  日時:2009年2月26日(木) 18:00〜20:00(質疑応答含む)
  会場:アトリオンB1多目的ホール
  参加費:無料
  主  催:NPOイーストベガス推進協議会
  後  援:秋田県、秋田市、秋田商工会議所、
       秋田県観光連盟、秋田観光コンベンション協会

  お申し込みhttp://www.eastvegas.org/index.php?id=66

  講 師:谷岡一郎 氏
  プロフィール
  昭和31年大阪生。大阪商業大学学長。専門は犯罪学、ギャンブル社会学、
  社会調査論。平成20年から国際教養大学理事に就任。
 主な著書
  『ギャンブルフィーバー』『ツキの法則』『ギャンブルの社会学』
  『ラスヴェガス物語』『「社会調査」のウソ』
  『確率・統計であばくギャンブルのからくり』『カジノが日本にできるとき』
  『こうすれば犯罪が防げる』他多数


必見です!
私はもちろん申し込みました!
会場でお会いしましょう!

この記事にハッときたらクリックお願いします→にほんブログ村 地域生活ブログ 秋田情報へ
この記事にグッときたらクリックお願いします→人気blogランキング 東北情報へ
メールはこちら → t.uppercut@gmail.com



JUGEMテーマ:地域/ローカル
JUGEMテーマ:日記・一般

| T U | 秋田についてもろもろ | 18:19 | comments(6) | trackbacks(0) |
川熊の正体
雄物川には「川熊」という妖怪がいるらしい。
しかし、私は雄物川に生まれ、育ち、そして今も雄物川で暮らしているが、
そんなことは誰からも聞いたことがない。

でも、いるらしいのだ。
というのも、
かの有名な江戸時代の紀行家・菅江真澄の著した書物「月乃出羽路」に、
雄物川に出る妖怪として「川熊」の記述があるのだ。

さらに、いろんな伝説もあるらしい。
漁師がヤツメ漁をしているところに、
川の中から真っ黒な毛だらけの手が現れて船中の何かを奪ったとか、
殿様の乗っている船にあらわれ鉄砲を奪って行って、
家来が潜って取り返してきたとか・・。

そのかわいらしい悪行たるや枚挙にいとまがない。
そして、この話(wikipediaより)。

「ある船頭が雄物川の岸に船をつけたところ、水音と共に何者かが船の淵に手を掛けたので、驚いてナタで斬り落としたところ、それは猫の前足のようなものであり、雄物川下流の河辺郡川添村椿川(現・秋田市雄和)で川熊の手として残されたという」

また私の正体が少しバレるのであまり言いたくないが、
ここに出ている地名は私の家の対岸なのだ。
雄物川流域といっても、
上流の神宮寺とかあのへんの話だと思っていましたが、
私の家のある場所、毎日見ているこの川に「川熊」がリアルで出現していたという。


(これが川熊らしい)

私の家の周辺にはなぜか野生動物がたくさんいるのだ。
犬猫などはもちろん、白鷺や白鳥などの野鳥やリスなどの小動物も多い。
朝起きて歯ブラシをくわえながらボヤーッと川を眺めていると、
ちっちゃいリスが木から木へチョロチョロ渡り歩いていくのが見れる。
なんと素敵なとこなのだろうか。

そして最も多いのが狸だ。
最近では増えすぎているせいなのかしょっちゅう見る。
今年の春、リフォームするために実家の床をはがしてみると、
なんと床下から狸の家族の巣穴が見つかったのだ。
しかも3世帯分も!
うちは2世帯なので人間よりも狸のほうがこの家には住んでいたことになる。
狸にダマされた気分だった・・。
それほどまでに狸にとってはここは住み心地の良いところなのだ。

しかし野生の狸というのは、
アニメなどで見るあのかわいらしくて金玉のでかいああいうものではない。
毛むくじゃらで大型。
最初見たときはアナグマかと思ってしまったほどだ。


(実家のサンルームに迷い込んだ狸)

おそらく川熊というのは、
こういう狸が魚などを獲るために川に入って、
たまたま浮かんでいる船に手をかけたというのが真相のような気がする。
ずぶ濡れの狸がいるはずもない水中からでてくれば妖怪だと思うに違いない。
狸が往来できるほど、このへんの雄物川は浅いのだ。



来年あたり、川船をGetしたらそのことを試してみたい。
気がついたら船に狸が乗っていた。
なんて出来事があったら超歴史的だ。





この記事にハッときたらクリックお願いします→にほんブログ村 地域生活ブログ 秋田情報へ

この記事にグッときたらクリックお願いします→人気blogランキング 東北情報へ

メールはこちら → t.uppercut@gmail.com
JUGEMテーマ:地域/ローカル


| T U | 秋田についてもろもろ | 01:31 | comments(1) | trackbacks(0) |
県庁の星
「県庁の星」と入力しようとして「県庁のヒ素」と入力してしまった・・。
なんでなんだろう・・。

私の幼少時にとてもいい影響を与えてくれた近所に住む校長先生は、
酔うと、

「大きくなっていい女と一緒になっていい暮らしをしたいと思うなら
 公務員になれ!しかも教職が一番だ!」


と私の将来を案じて豪語していたが、
私は幼少ながらそれだけは絶対間違っていると思っていた。
しかし、その前の時代の日本を生きてきた校長先生から見れば、
それが唯一の正解なのであり、
その後の時代をこれから成長しようとしている私から見れば、
そう思うのもまた正解だっただろう。

まあさすがに自分の母親を「いい女」だとは到底思えないが、
そこを割り引いたとはしても、
不安定きわまりない自営業とはいえども小さな建築業を営み、
時代に乗って勢いのある親父の方が、
子どもの私には比べようもないほど自由で自立していて、
要するに魅力的に映ったのだ。

そういう生い立ちなものだから、
どうも役人を大したことない、と思ってしまいがちだ。
私だけでなく、戦後、特に高度経済成長以降に生まれた者なら、
多かれ少なかれそういう傾向はあるんじゃないでしょうか。

これは別に悪いことではなく、
大げさに言えば、集団の成長に対する古代アジア的な悪癖(儒教)から、
日本だけがいち早く抜け出し、
経済的な大躍進をすることになった理由の一つではないかと思えるし、
これからの日本の、
しかも局地的な未来(=秋田の未来)を考えても実に小気味のいい風潮だと思う。

しかし、だ。
私もこの年になって、
多くの役人の方とふれあう機会があるが、
私の周辺だけたまたまなのかも知れませんが素晴らしい!
と思う役人がとても多い。



「役人こうあるべき!」という理想の役人像があるでしょうが、
実にそういうことを感じさせる人がいるのだ。
そういう人は、国の宝なのだ。
ぜひとも秋田の未来を創る要職に就いてもらいたいと思う。

最近、一緒に仕事したことがある役人の方がいますが、
ほんとすごいんですその人!
私と同じくらいの年齢ながら、その聡明さは、私がスッポンだとすれば、まさに月!
あまりにすごくて口に出してしまいたいほど!
県庁のJ.Nさん、アナタほんとすげ〜〜〜!!!



こういうことを考えると、秋田はまだ戦えると思ってしまいます。
俺も火の玉になるぞ〜!!!





この記事にハッときたらクリックお願いします→にほんブログ村 地域生活ブログ 秋田情報へ

この記事にグッときたらクリックお願いします→人気blogランキング 東北情報へ

メールはこちら → t.uppercut@gmail.com

JUGEMテーマ:地域/ローカル


| T U | 秋田についてもろもろ | 01:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
信長の料理人
確か司馬遼太郎のなんかの本に書いてあったような気がする。

織田信長が京都を攻略した際、
追放した三好家の家臣で、坪内という京都ナンバーワン料理人を捕虜にした。
この彼に料理を作らせてみて、
うまければ命を助け、まずければ処刑することにしたという。
マンガの料理対決みたいな話だけども信長ならやりそうな気も。



そしてこの料理人坪内は命を賭けてとてもumaiものを作ったのだが、
信長の評価は、

「こんな水っぽくてまずいものが食えるか!死刑!」

ということで一蹴したそうだ。
そこで料理人坪内は泣きの一回を懇願し、再度アタックすることに。
そして今度は見事信長の舌をうならせ、
助命されたうえに信長付きの料理人として召し抱えられたという。

あとでこのことを人に尋ねられると、

「1回目は京風の上品で都会的な味で殺されるとこだったから、
 2回目は濃くて塩辛い田舎くさい味付けにしただけだ。
 信長なんていうのは味もわからない田舎者なのだ」

と罵倒したという。
もちろん本能寺後のことでしょうけども。

文明からの距離がある地域であればあるほど、
塩分を好むように人間の体はできているのだ。
これは常に物に溢れて飢餓に対する恐怖から解放されている都市圏と、
常に食に乏しく次にいつ体内に炭水化物を摂取して
吸収できるかわかったものではない荒野に生きる人々の違いだろう。
現代の脳卒中王国、胃ガン王国といっていいほどの塩分王国秋田は、
そういうことでいってもそうとうな田舎だということだ。

新橋の有名なおでん屋で呑んでいて、
見た目のうまそうな割には甘くて甘くて食えたもんじゃないおでんをつついていて、
そのことを思い出した。





まわりのみなさんは満足げに食しているのにも関わらず、

「こんなあめえもんで酒が飲めるか!死刑!」

と叫び出したくなった私は明らかに田舎者。
そして秋田人。





この記事にハッときたらクリックお願いします→にほんブログ村 地域生活ブログ 秋田情報へ

この記事にグッときたらクリックお願いします→人気blogランキング 東北情報へ

メールはこちら → t.uppercut@gmail.com

JUGEMテーマ:地域/ローカル


| T U | 秋田についてもろもろ | 01:58 | comments(0) | trackbacks(0) |
千秋公園ぶらり
カミさんが「宝助」のラーメンが食べたいというので家族で宝助に。
私はあまり好むところのラーメンではないけれども久しぶりに「ニラなんばん」を。





まあまあおいしいと思う。
でもトッピングのキムチとニラなんばんがなければ厳しいですな。
人気のラーメン店ですけども。

腹がふくれたので、ぶらりと千秋公園へ。
千秋公園には花見などで、
いまだに年に何度か来るけれどもこの時期に来るのは高校生以来のこと。


この秋の感じ、懐かしいなあと思いつつ、家族を連れて歩く。


御隅櫓で息子に歴史の講釈を


城全体は高くないのだけどもここはさすがに物見櫓だけあって高い


庄内第四大隊はこの方面から来たのだ。長浜の戦火はここから見えただろう


その戦争当時の藩主義堯公

この方はなんでこんな大きな銅像になっているのかと不思議。
最後の藩主だから?
銅像にするなら義宣か義和、義重あたりだと思いますが・・。
今まで気付かなかったけどもなんか違和感ありますね。


岩見三内では終わっていたけど千秋公園では今が盛りのもみじ

いずれにせよ、千秋公園の秋は素晴らしい。
よく高校の頃、ここでデートとか「あわせ」とかしたもんだ。
あまり観光向きではないけれども、散歩するなら最高だ。





この記事にハッときたらクリックお願いします→にほんブログ村 地域生活ブログ 秋田情報へ

この記事にグッときたらクリックお願いします→人気blogランキング 東北情報へ

メールはこちら → t.uppercut@gmail.com

JUGEMテーマ:グルメ


| T U | 秋田についてもろもろ | 11:11 | comments(0) | trackbacks(0) |
続・斬殺悲話
幕末慶応4年。
奥羽越列藩同盟を裏切って脱退し、
「一藩勤王」を唱えて戊辰の戦塵の中を秋田藩は戦った。
しかしそのおかげで、
お隣さんであり親戚筋のような各藩から鬼神のような侵攻をくらう羽目になった。
特に庄内藩、仙台藩、南部藩の追い込みは厳しく激しく、
ここを落とされればもう終わりという椿台(秋田空港周辺)まで攻め上げられた。
一藩勤王の結果、各地が焦土になったのだ。



この戦いの直接の契機となったのは、
使者として秋田の城下に留まっていた仙台藩士の大虐殺だ。
暴発した秋田の若者らが、
仙台藩から来た正式な使者団の寝込みを襲い有無を言わさず斬殺。
斬首してその首を五丁目橋の下に晒した。

 →仙台藩士殉難碑にて

それに激怒した仙台藩は秋田藩に対して宣戦し、
秋田藩は不本意ながらも同盟を脱退せざるを得なくなり、
仕方なく戦火の中に入っていった。
この仙台藩士斬殺事件は秋田史において大きな影響を与えた、
悲しい事件だったのだ。



しかし、悲話はそこで終わらなかった。

斬殺から2日後の7月6日。
巡礼姿の少年2人が秋田の久保田城下で捕らえられる。

この少年は斬殺された仙台藩士の子で、
父が秋田へ向かって出発した後に何か連絡することがあって、
わざわざ跡を追ってきたのだという。
2人にすれば父上を追う冒険のような小旅行であり、
秋田城下で父上に会えるのを心底楽しみにしていたに違いない。

しかし当時の秋田人はこの仙台少年を捕縛し尋問。
挙げ句に、この何も知らない何も罪のない子どもを非道にも殺したのである。
享年13歳と17歳。
首は花立町(高陽幸町)に捨てたという。

大正4年10月17日付の秋田魁新報に、
当時の目撃者(関係者?)の談が載っている。

「その父がすでにこの世の人ではないと聞いたときの二少年の悲哀はどんなであっただろう。子供心にも、いかに戦争の惨禍のかくまでもはなはだしきかを思い、合掌瞑目した。その、けなげさを思いやるだに、涙の種である」

なんでこんなにやりきれないんだろう。
こういうのは戦争のせいなのか?時代のせいなのか?
なんか違う気がする。



今日は早く帰って息子と一緒に風呂に入ろう。





この記事にハッときたらクリックお願いします→にほんブログ村 地域生活ブログ 秋田情報へ

この記事にグッときたらクリックお願いします→人気blogランキング 東北情報へ

メールはこちら → t.uppercut@gmail.com

JUGEMテーマ:地域/ローカル


| T U | 秋田についてもろもろ | 01:15 | comments(2) | trackbacks(0) |
田沢湖、魚影濃し

夜に息子と部屋で二人で宴会

小学校一年生の彼といろんな話をしました。
普段、こういう機会というのはほとんどないので貴重な時間。
思い切って「クラスに好きな女の子いるか?」と聞いてみたら、
いっちょまえに照れていた。
大きくなったなあ。


宴の残骸。


早朝起きてカブトムシを探しにブナの森へ


見つけられませんでしたが、いい散歩に


そして帰り際に田沢湖でパンダボートに!

ここで驚いたのは、ボート貸し場に魚の餌が売っていたこと。

田沢湖といえば、鉱山開発の影響で流れ出た玉川毒水の影響で、
不気味な(それだけに綺麗な)青色をしていて生物がまったく住まない湖だった。
その深さ日本一という特性もあいまってさながら「死の湖」というイメージ。
私が小学校の時にはそう教えられたし、実際そうだった。

それがなんと今ではたくさんのウグイが住む豊かな湖へと再生しつつあるのだ!
今回のパンダボートではそのことを目の当たりにしてしまった。


ボートですすむとこんなにウグイが群がってきます!


北北西に面舵!魚影濃し!

やっぱりうれしくなりました。
国鱒も戻ってくるか!?


頑張れ田沢湖!





この記事にハッときたらクリックお願いします→にほんブログ村 地域生活ブログ 秋田情報へ

この記事にグッときたらクリックお願いします→人気blogランキング 東北情報へ

メールはこちら → t.uppercut@gmail.com

JUGEMテーマ:地域/ローカル







| T U | 秋田についてもろもろ | 01:38 | comments(3) | trackbacks(0) |
田沢湖高原summer
乳頭温泉鶴の湯にはこれまで30回くらい行ったことがあると前に書いたが、
この田沢湖高原にある「プラトーホテル」へも、
これまた仕事の関係が多いのだが、もう20回以上は来ている。
今、最もお気に入りのホテルだ。

しかし、プラトーに夏に泊まるのは初めて。
今回は夏休みということもあり、息子と二人で初めての外泊。
晴れていれば駒ヶ岳に登るつもりだったのだ。
最近は乳頭や湖畔の方ばかりに人気をさらわれているけれども、
この高原のホテルもなかなか素敵なのだ。
もったいないことにあまり知られてないと思うので、ここで紹介します。


まずは温泉


乳白色の温泉は鶴の湯だけではありませんよ!


しかもこの趣のあふれる木造の大きな温泉


外はスパーーーンとブナの森のパノラマです

この温泉いいと思いませんか?
見た目通りとてもいいです。
ブナの森を眺めながらのとっぷりつかるお湯。
四季の表情も豊かで、野鳥も多いのです。
何度行っても飽きない。


そして夕食は囲炉裏を囲んで網焼きを食す


鍋はネマガリタケ。この土地のものです


秋田錦牛のステーキがあがりました!umai!


今度はホタテとタラバガニですよ!


プリップリッス!


ホタテがこんなにumaiとは知らなかった!


そして愛しのタラバガニ!


どうですかこのカニの手足!


抱きしめられたいほどです!


息子もあむん!とかぶりついています


漬け物のうまさもここのポイントのひとつです


メシはこのかまどで炊いたものをいただくのです。だからumai!


ごちそうさま!

これだけの内容で驚きの価格です。
機会があれば行ってみて体験してみてください。
田沢湖高原もなかなか捨てたものですはないですよ。

→ 田沢プラトーホテル http://www.plateau.jp/





この記事にハッときたらクリックお願いします→にほんブログ村 地域生活ブログ 秋田情報へ

この記事にグッときたらクリックお願いします→人気blogランキング 東北情報へ

メールはこちら → t.uppercut@gmail.com

JUGEMテーマ:地域/ローカル


| T U | 秋田についてもろもろ | 16:38 | comments(2) | trackbacks(0) |
「辻兵吉」
この秋田の偉大な人物の葬儀が28日に秋田市内で行われた。
葬儀といっても参列者4000人近い一大イベント、
いや並のイベントなど比較にならないくらいのすごい葬儀だった。
秋田県のすべての要人がここに集結したのではないかという顔ぶれ。
仮に今ここで爆弾テロでも起こったら、
もう秋田県は間違いなく30年は立ち直れないだろう。
いや、大袈裟ではなく本当に。
そういう人々が4000人も集まったのだ。
この先、誰が亡くなったとしてもこんな伝説的な葬儀はもうないだろう。


私も生前のご恩に感謝し哀悼を捧げたく末席に参列させていただきましたが、
正直、葬儀に出席して初めて「辻兵吉」氏を、
一個の人間として見ることが出来たように思います。
というのも、
私にはあまりにも雲の上の人過ぎて実在上の人間として接することが出来ず、
言うなれば「神獣」に近い感覚で畏敬尊敬すべき存在だったのです。
これまで何度も宴席などで隣の席に座らせて頂くことがありましたが、
あまりのオーラに、ついに懐に入ることはできなかったと思います。
しかし最近、会う人と辻さんの話題になるにつれてよく言われることがあります。

「そういえば初めてあなたのことを聞いたのは辻さんからだった」

と。
私にとってはとても意外なことなのですが、一人や二人ではないのです。
私は辻さんご本人に名前で呼ばれたことはありません。
私の名前など当然知らないものだと思っておりましたが、
実はしっかり覚えていてくださり、
さらにいろんな方々に私たちのことについて、
 〜これまた意外なことに高い評価とともに〜
お話ししてくれていたのだと知り、今さら胸が熱くなります。
どなたかが弔辞でおっしゃっていましたが、

「名家に生まれながら尊大ぶることなく分け隔てなく誰とでも接触する」

ことが辻さんの魅力でもあったそうです。
誠にその通りだと思いました。

巨きな志を受け止めて、
大先輩が大好きだった秋田のために、
これからも頑張ろうととても強く思いました。



7月も今日で終わりです。





この記事にハッときたらクリックお願いします→にほんブログ村 地域生活ブログ 秋田情報へ

この記事にグッときたらクリックお願いします→人気blogランキング 東北情報へ

メールはこちら → t.uppercut@gmail.com
JUGEMテーマ:日記・一般


| T U | 秋田についてもろもろ | 01:13 | comments(6) | trackbacks(0) |
三春の秋田
かねがね三春に行きたいと思っていたもう一つの理由。
それは、この三春は「秋田氏(安東氏)」が幕末を迎えた地なのだということ。

秋田氏(安東氏)は関ヶ原まで、今の秋田県内において、
内陸の小野寺氏とともに秋田の覇権を争っていた戦国大名だ。
拠点を土崎湊に置き、能代、南秋、男鹿、秋田平野一帯、米代川流域、
由利の一部、仙北の一部など海側の平野部を統一し、
いわゆる「秋田」と呼ばれた地域のほとんどすべてを支配下に置いていた。
15世紀、私の実家のある場所も秋田(安東)氏の支配下だったことがある。
安倍貞任の後裔を名乗り、古代から北前の水軍として津軽・秋田で大きな勢力をふるってきた秋田氏(安東氏)。
大陸からの往来者との交流も深かったはず。
土崎湊隆盛の基盤をつくったのは無論、彼らだ。
こういう彼らに私のような秋田人が興味を持たないわけがない。

イオンSCのある台地には彼らが攻め落とした敵の居城が今でも残っているし、
その際の伝説なども今だに口伝として残っている。
土崎の寺社群は彼らの拠点の名残だし、
私も毎朝、その支城であり重要拠点だった白樺城の眼下を通って通勤している。
それほど身近であり、多くの秋田人にとっては特別に重要な人々なのである。

それが関ヶ原で徳川方について、
上杉&小野寺勢をよく抑えたことの論功行賞で秋田から常陸へ国替え。
秋田からは去ったが、姓だけは持って行ったのだ。
秋田時代の最後の領主、実季の時代に「秋田(秋田城介)」と名乗り、
そのまま今に至る。



その秋田安東氏が秋田からこの三春5万5千石に来たのが1645年。
その間、飛び抜けた実績や傑出した人材を出すことはなかったが、
江戸期を堅実に、小ぶりながらも見事な文化をここに培って、廃藩置県を迎える。



安東氏が13世紀あたりまで拠点としていた津軽十三湊の福島城跡や、
男鹿の脇本城跡にも私は行ったことがあるが、
それらの城のイメージのような冒険的で投機的でactivityなエネルギーはない。
三春はこじんまりとしているが、
そのぶん堅実で安定を願う人々の強靱さ、腰の強さを感じるのだ。



古代。
日本海の民、海の豪族であった彼ら。
西の松浦党と比肩する学者もいるほど海と密接な関係を持って生きてきた彼ら。
それが北前の大海から、アタタラ・アブクマの山海へとステージチェンジ。
海でも山でも彼らはよくやったと思う。

幕末こそ、いち早く官軍に寝返り、
会津や二本松を蹂躙する道案内役になってしまいひんしゅくを買ったが、
しかし、この山あいの見事な街ぶりに見るにつけ、しみじみ思う。

秋田さん、あんたうまくやったよなあ。







この記事にハッときたらクリックお願いします→にほんブログ村 地域生活ブログ 秋田情報へ

この記事にグッときたらクリックお願いします→人気blogランキング 東北情報へ

メールはこちら → t.uppercut@gmail.com

JUGEMテーマ:地域/ローカル


| T U | 秋田についてもろもろ | 16:21 | comments(2) | trackbacks(1) |
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031
<< October 2020 >>

このページの先頭へ


Web Analytics