Tiger Uppercut!〜ある秋田人の咆哮

タイガー!タイガー!アッパカーッ! 秋田の歴史、文化、グルメ、時事、そしてステキな未来を書き下ろし!
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雄物川はるか


ここ最近、私の家の隣をゆったりと流れる大河に釣り人が横行している。
おそらくサクラマス狙いのフィッシャーなんだろうけど、その数がまた少なくない。


左中央部に見えるヤツがFishermanです 

ナンバーを見ると県外ナンバーも多いのでわざわざ遠くから来るんだろうけども、
人の家の庭の素敵な魚を針の付いた糸に引っかけて釣って食おうというのだから
住民としてはあまり気分のいいものではないなあ。
でもまあお互い様か。
あまり文句は言わないでおこう。

この母なる大河。
私はここの隣に引っ越してからというもの、
この河の音を聞き、川面に反射する光を感じ、水辺に集まる多くの小動物を眺め、
四季を感じ、要するに最高いい暮らしをしている。



この長大なる川は、
玉川上流から院内雄勝までかけての長大な奥羽山脈を源流として、
仙北平野という豊穣な大平野の南北にかけての細流水流を集め、
長い長いワインディングロードの末にこの秋田平野でようやく海に出会うという、
古代から「秋田」という「くに」を特徴づけているはるかな大河だ。

この最高にいい川の名前は雄物川(おものがわ)と呼ばれる。
この川の源流まで寄り添って走る奥羽本線が開通する前は、
この川の水運が秋田人の大動脈だった。
特に藩政時代には米や衣服はもちろん、
昆布、鮭、鰊などの多くの北前物の物資がこの川を往来した。
御物(年貢米)を運んだことから「御物川」転じて「雄物川」という名になったという。
そうして私も今、この大好きな川を雄物川と呼んでいる。

しかし、では貢ぎ物を御上に運ぶ前、遙かな古代。
この雄物川、なんと呼んだのだろう。
大河兼任が鎌倉殿に抗い遠征に行くときも彼の大軍がこの大河を遡っただろうし、
元慶の乱では多くの蝦夷反乱軍がこの目の前の川を遡上して行っただろう。
そしてまたもっともっと古き時代、
多くの大陸対岸から木船でやってきただろう様々な民族・人種の人々は、
この大河をみてなんと呼んだんだろう。




まあ実は雄物川と呼ばれる以前は大川と呼ばれたらしいが、
それではなんともつまらない。

特に今も中国東北部に住む少数民族(ツングース)であるオロチョン族は、
古代この列島に渡り、たたら製鉄やオロチ伝説など、
各地にその痕跡を残したという。
雄物川沿岸には製鉄の窯や炉の遺跡が多く点在する。
その彼らの言葉で、「川の多い入り江」のことを「デワ」と呼ぶらしい。
出羽の国という旧国名はここから来たともいわれている。
その彼らはこの素晴らしい河をみて、どんな名をつけて、どう呼んだんだろうか。



そしてまた、他の渡来した勢力には「秋田美人」の祖となる
白人種(コーカソイド)の一大勢力もいたはずだ。
彼らはこの偉大な河をどう呼んだんだろうか。

毎日このはるかな流れを眺めていると、そんなことばかり考えてしまうのだ。






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